2022/05/27 Grace Lambert-Smith
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アグア・マリナ・エスピノラ・サリナスのCANYON//SRAM Generationの旅

パラグアイ人サイクリスト、アグア・マリナ・エスピノラ・サリナスは、CANYON//SRAM Generationに参加するための旅について語ります。

アグア・マリナ・エスピノラ・サリナスのCANYON//SRAM Generationの旅 アグア・マリナ・エスピノラ・サリナスは、CANYON//SRAM Generationのメンバーの一人です。

トップレベルの女子ライダーは4分の3以上がヨーロッパ出身です。サイクリングはもともと、ヨーロッパの白人が多いスポーツです。このスポーツのルーツはヨーロッパ、北アメリカ、そしてオーストラレーシア地域が主です。そのため、南アメリカ人が女子選手のわずか3.4%しか占めていないことは、驚くにあたりません。

Canyonは、サイクリングの多様化に向けた真剣な取り組みの一環として、あらゆる女性にこのスポーツへの門戸が開かれることを望んでいます。女子ワールドツアーで大きな成功を収めているCANYON//SRAMレーシングチームと同じ運営のもと、CANYON//SRAM Generationが誕生しました。CANYON//SRAM Generationの価値観は先輩チームと変わることなく、キットデザインもワールドツアーチームと同じ方向性ですが、そのキットには独自の美しさも備えています。

才能あるライダーを全世界で探す旅は2021年初頭に始まりました。チームには、驚くべきことに62か国、239名もの女性から申し込みがありました。最終選考に残ったライダーには、ナミビア、シエラレオネ、ルワンダ、マレーシア、ジャマイカ、ドイツ、それにパラグアイからの女性が含まれていました。

先頃に行われたトレーニングキャンプで、CANYON//SRAM Generationのチームメートと一緒のアグア(右)。

チームの狙いは、こうしたライダーの可能性を解き放ち、ワールドツアーのプロに育て上げて、UCIワールドツアーで1位を獲得できるようにすることです。CANYON//SRAM Generationのようなチームを立ち上げることは、このスポーツをより身近に、さらによい方向に導く方法のひとつなのです。

この革新的なチームに参加することの真の意味について知るために、4月の穏やかな夕方、パラグアイのライダー、アグアマリナ・エスピノラに話を聞きました。シーズンが始まる時期で、彼女を待ち受ける1年に向かって準備を整えていました。

アグアマリナは、パラグアイの故郷の市からジローナに到着して、必要な事務手続きを済ませたところでした。「ここバルセロナの空港に到着すると、滞在先とビザについて質問されました」と言います。「たくさんの質問をされ、時々つらくなることもあります。」 自分の可能性を達成するのにすでに状況が不利である場合、決まりきった確認とバランスを取ることさえ負担に感じられることがあるものです。

しかし、彼女の話は悲しい物ではありません。アグアは、インタビューできたことを光栄に思えたライダーのなかでも特に幸せな人のひとりです。アグアの語る熱意と情熱は、揺るぎありません。ただし、アグアやほかのヨーロッパ出身ではないライダーにとって、プロフェッショナルサイクリングの世界に入るために越えなければならない多数の障壁が過去のものになったわけではありません。

バイクとキット

サイクリングで競うには、機材に莫大な投資が必要です。少なくとも、ロードバイクと基本的なサイクリングキットはなくてはなりません。アグアは11歳のとき、地元の道でサイクリストを見かけました。「『なんて素敵な自転車なんだろう。私も乗ってみたい』と思いました。」そしてそのとき、アグアはロードバイクへの愛に目覚めたのです。

初めてロードバイクを見た時について、アグアは「そのときの私は、『ああいうバイクに乗りたい』って感じでした」と表現します。「ハンドルの形、とても細いホイール…自転車という感じではなく、芸術作品のようでした。そのときから、ロードバイクにとりつかれて、いつもインターネットでロードバイクを見ては、自分の物にすることを夢見ていました。」

「南アメリカでは、15歳になると両親がパーティを開いてくれますが、その代わりに例えば車とか外国旅行とかバイクのような特別なプレゼントを欲しいということもできます」とアグアは付け加えます。「そこで、アイディアを思いつきました。パーティを開くことではなく、ロードバイクをお願いすることです。このアイディアを両親に提案しましたが、父は「ダメダメ、それは無理だよ」という感じでした。でもそのせいで、ロードバイクを手に入れるという私の決意はますます強くなりました。」

母親は、アグアの願いに対してもう少し聞く耳を持っており、彼女が見たサイクリストと話してみるように提案しました。アグアは数週間後その通り、サイクリストたちに自分の苦境と夢について話しました。やがて、サイクリストたちはアグアのところを訪れ、ステンレス製のロードバイクを1台提供してくれました。それからわずか2か月後、アグアはそのバイクでレースに参加していました。

「そのとき、女の子は他に1人しかいませんでしたが[racing]、男子とのレースを希望していました。そのせいで、私のカテゴリーでレースに参加したのは私1人だけでした」とアグアは回想します。「全カテゴリーをあわせても選手は50名ほどでした。グループから離れてしまいましたが、とにかく前へ前へと進みました。飲む水がなくなっても、ひたすら登り続けました。やっと、ゴールにたどり着くと、友達が待っていました。みんなに、どうやってここまでたどり着いたのか聞かれました。」




アグア・マリナ・エスピノラ・サリナスのCANYON//SRAM Generationの旅 アグアと、CANYON//SRAM GenerationのCanyonバイク。

「誰が連れてきてくれたのか、車に乗ったのかと尋ねられました。みんな、『この上りは本当にきついんだ!』と言うのですが、私にはどの上りのことかわかりませんでした。」とアグアは笑います。「彼らは互いに眼を見合わせながら、私が本当にその70kmを走り遂げたのかといぶかっていました。長い時間はかかりましたが、私はそこまでたどり着くことができたのです。友達は感心して、そのことを他の人にも話しました。[At the time]そこにはコロンビア人のナショナルコーチが居たのですが、彼らは『この子を見てください、このレースを完走したんですよ!』と話してくれました」

そのコーチが、アグアに援助を申し出ました。ほどなく、アグアはパラグアイでのレースにもっと出走し、勝つようになりました。さらに、ブラジル、アルゼンチン、そしてパンアメリカン競技大会でのレースへと手を広げたのです。「こうしたイベントの後、政府がアスリートの援助を始めたのでもっとサポートを受けられ、すぐにいいロードバイクが手に入りました!」 アグアは言います。

アグアとのインタビューを通じて、彼女の成功の多くは彼女の内面から来ていることは明らかでした。決意と粘り強さがなければ、この地位にたどり着くことはできなかったでしょう。「不利な状況が多い程、強くなることができます。これは陳腐な決まり文句ではなく、事実です。最初に父が私の意見を否定したとき、私の決意は固まりました。それから、障壁にぶつかると、それが私のモチベーションを上げてくれるのです」とアグアは説明してくれました。「周りの人は、ヨーロッパでライダーとして活躍するのは大変だと言い続けてきました。だから、私は『そうかもしれないけど、チャレンジすることはできる』と言ってきました」

私は、アグアのこのような決断力を育てたのが誰なのか知りたいと思いました。彼女の決断力は幼少の頃に植え付けられたように見えたからです。「パラグアイの女性は、逆境に立たされているからとても強いのだと思います」とアグアは説明します。「パラグアイは極めて男性が優位な社会で、男性だけが成功できます。男性にできないことは、間違いなく女性にもできません。人々の中には、それができないことを歯がゆく感じ、他の人も同じような思いをしてほしくないと思う人もいます」と言います。

「戦争中、夫は妻を家に残し、男性が戦っている間、女性は自分たちの手で国を立て直さなければなりませんでした。この女性たちが私を奮い立たせました。女性達は女手ひとつで10人から12人の子供達を育てていました。それを思えば、私がロードバイクに乗って、強くなれない理由など無いのです。私の母でさえ、今の私の年よりも若いときに、ひとりで外国に行きました。母は私たちのために家を手に入れ、私たちがよりよい生活を送れるようにあらゆることをしたのです」

アグア・マリナ・エスピノラ・サリナスのCANYON//SRAM Generationの旅 トレーニングキャンプで、CANYON//SRAM GenerationとCANYON//SRAMレーシングのチームメートと一緒のアグア(中央)。

夢の実現

政府と周囲の人々からの支援に続いて、アグアが次のレベルに歩を進めるときが来ました。しかし、プロフェッショナルサイクリングの中心地が遠くの地にある場合、どうすればそこにたどり着けるでしょうか。

アグアは、不思議な運命の巡り合わせで、最初にステンレス製のロードバイクをくれた人が今は実はボーイフレンドになっていることを明かしました。「彼の夢はオリンピック選手になることでしたが、それは叶いませんでした。彼にとってつらいことでした」とそっと言い添えます。「それで、私は数年後に彼に連絡を取ったのです。私も同じ望みを持っていたからです。『あなたがオリンピックに行けなくても、私が行けるかもしれない』と考えたのです」 「たぶん私がオリンピックに行くことはないでしょう。しかし、今は他に10人くらいの女子選手がオリンピックを目指しているので、いつかパラグアイのライダーが表彰台に立つでしょう」と、彼女らしい熱情と決意を込めてアグアは付け加えます。

アグアは、CANYON//SRAM Generationに参加する前にも、プロフェッショナルサイクリングの経験がありました。この経験に加えて、鍛えられたメンタルと肉体が彼女を東京オリンピックのパラグアイチームの一員にしたのです。アグアがオリンピックにパラグアイ代表として参加する初のサイクリストになったことは歴史的瞬間でした。

「オリンピックに参加することは私の念願でしたが、[the course]は本当に厳しいということがわかって、自信をなくしかけていました」とアグアは認めます。「良い成績を出したかったので、とても怖かったのです。オリンピックに参加して、最初の上りで引き離されるのは嫌でした。自分自身の力を示し、私たちの国の力を見せたかったのです。自分自身の力をもっと証明するためには、まだ何年もの時間があります。」

オリンピックにおいて、アグアの存在は目立っており、選手達の間でナショナルチャンピオンとして見られていました。「現在のパラグアイのライダーは競技に真剣に取り組んでおり、本当に強いマウンテンバイカーもいます」と、同僚のサリナ・ノエミ・マルティネス・メンデスに触れました。「サリナは、私が彼女のやる気を刺激すると言ってくれました。彼女は、女子ワールドツアーで私に会って、[XCO]ワールドカップで勝ちたいと言っていました。」

気がかりなのは、私たちが、たどり着くべき場所に行くためにしなければならないことです。

Agua Marina Espínola Salinas - CANYON//SRAM Generationのチームメンバー

CANYON//SRAM Generationでベストになること

アグアはインタビューの間とても控えめです。アグアは、プロフェッショナルサイクリングで有名とは言えない国から来て、男性優位の世界をうまく通り抜けようとしている若い女性です。目標に到達する道は、急峻で起伏が激しいものです。そのうえ、アグア自身のような先駆者の付けた道筋があるわけではありません。では、彼女はどのようにしてやり遂げるのでしょう?

「南アメリカで最高のライダーになりたいんです。学ぶことが沢山あり、一定のレベルに達する必要があることは分かっています。だから、それに取り組んでいます」と言います。「どれも次から次へと押し寄せてきますが、目標に少しずつ近づいているのが分かります。女子ワールドツアーのチームに入ることが夢ですが、そのためには学ぶことが多くあるということも自覚しています。でも、それに取り組んでいるところです」

アグアは、以前在籍していたチームで体験した数多くの集団レースから、レースを読むことができます。しかし、下りと最高出力が彼女の最大の弱点であることを告白しています。

「私のデータは悪くありません。むしろ、いい方です!でも、レースはとても特別な場で、爆発的なパワーが十分に出せないことがあります。ときどき、後方から追いかけなければならないので、これははっきりとした弱点だといえます。このチームに所属して、弱点を強みに変えていくことに満足しています」と言います。

アグア・マリナ・エスピノラ・サリナスのCANYON//SRAM Generationの旅 下りは、アグアが自分の育成計画の一部として磨きをかけている技術のひとつです。

アグアは、個人として自分自身を育成していくことに加えて、CANYON//SRAM Generationのようなチームが女子サイクリング全体の才能を育て、未来を形成していることを広めたいと熱望しています。

「他のチームもいずれ育成は可能で、必要なことだと分かるようになるでしょう。誰もライダーを育成せず、強いライダーを求めるだけなので、育成チームが必要なのです」と彼女は言います。「第1の問題は資金だということは分かっています。でも、ひとたびチーム関係者が必要なことに気づいたら…他の[World Tour]チームからライダーを引き抜くのはお金がかかります。だから、給料と条件を引き上げなければなりません。もし育成ライダーを雇えば安上がりです。」

これまで、ほかの唯一の女子育成チームは、スイスのエーグルに本拠を置くワールドサイクリングセンターだけでした。チームの大多数は、自身の育成計画を実行するのではなく、このチームからライダーを選んでいます。「どうして[they]は、育成チームを設立しないのでしょう?」 アグアは問いかけます。「一部のチームは、ビザの問題を解決することを好みませんし、私たちのような国についてもよく分かっていません。でも、これが将来の姿なのです」と付け加えます。

「ワールドサイクリングセンターでレースに参加していた多くのライダーが、今はワールドツアーで走っています。私たちがレースで走る能力が無いということではなく、つながりとチャンスが無いということなのです」と率直に語ります。この論理に反駁することは不可能で、世界に手つかずの才能がどれほどあるのだろうかと思わずにはいられません。アグアのように、自らの力を証明するチャンスを懸命に得ようとしているライダーがどれほど多くいることでしょうか?




アグア・マリナ・エスピノラ・サリナスのCANYON//SRAM Generationの旅

必然的に彼女の後に続く選手達のための道を切り開くことにプレッシャーを感じないか、と尋ねました。「ときにはプレッシャーを感じますが、そのときは『怖がっちゃだめ、こうなることはわかっていたはずでしょ』と自分に言い聞かせるんです」と彼女は笑います。「人は私を見て、それが可能だと分かると自分で試してみるんです。私はそれがうれしくてたまりません。同じ夢を持っている人と話すのもうれしくてたまりません。これまでの数年間で多くのことを学びました。だから、良いやり方についてアドバイスすることができます。私は世界選手権で優勝する選手ではないかもしれませんが、誰かがチャレンジしようと思うきっかけになることはできます。」





アグアの希望、夢、そしてその先にあるもの

アグアが短期間でコンディションを整えつつあるのは明白ですが、私は、彼女にとって将来がどのように見えるのか聞いてみました。

「夢については失敗することが怖いです」とアグアは認めます。「それは誰でも思うことですよね? 何をするにせよ、私たちは失敗を恐れます。でも、それが実行する理由なのです。気がかりなのは、私たちが、たどり着くべき場所に行くためにしなければならないことです。」

「過去を振り返ることで、希望が得られます。これまですでに成し遂げたことや、自分か来た場所を振り返るのです。これまでにそのすべてを成し遂げたのなら、もっと先に進むこともできるでしょう」と続けます。「進み続けるには、それまでに成し遂げたことを思い出すのはいいことです。」

モビスターのライダー、アナミエク・ファン・フルーテンが40歳に近づきつつ進歩を続けていることを話している際、「私は今26歳ですが、多くのトップライダーがそれより年上でベストの状態になっているのを見ています」と言いました。「単に、それをするのに熱意と情熱があるかどうかなんです。もちろん、途中で燃え尽きることもあり得ますが、続けたいのなら、続けることを選択できます。私はこのまま進んで、自らの道を見いだすつもりです。」




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    著者について

    Grace Lambert-Smith

    CanyonのSEOコピーライターであるグレースは、ピークディストリクト国立公園をホームとしています。実績豊富な長距離ロードサイクリストであり、現在はグラベルライドとマウンテンバイクの技術を磨いています。グレースはいつも自身の経験を広く伝えたいと考えており、サイクリングの様子を文章で伝えることに情熱を注いでいます。

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